どこかでピークアウトのような現象があるものですね。
バブルの末期に庶民層までが不動産やファンドの噂しはじめたり、映画のりメイク、お笑い、アイドルでのグループ化、音楽での転調多用、ほかにも流行の手法とその終焉はころがっている。
最初は画期的なんだろうが、その手法を応用すると今までの古びたルーティンが簡単に新規性を帯びる。
たとえば、20年前のSFでのニューウェーブや内宇宙もの。 マジックでのメンタリズム。 推理小説での多重人格もの。
あまりに安易にこの手法を使うと、たいしたアイデアも努力もなしに「古い酒」を金メッキした袋に入れて提供できる。
これが行き過ぎると、さきほど読んだ「彼女は存在しない」浦賀和宏は多重人格もの、解離性同一性障害ミステリにおけるピークアウトだろう。
そんどん出てくるカードやシルクのマジックのような満腹感しかない。 この分野も初期の頃は斬新さで興奮したものだが、考えてみれば推理としては邪道だ。 マジックでのメンタリズムもよく似ている。
単純にノーアイデアで行くならば、努力して若さと技術を保持して、40年後もより近い感動がほしい。 サブカル分野もアンチエイジングが必要だ。
土曜夜の神宮前でリリースと桑江知子