過労で倒れた知人の見舞いに行ってきた。検査入院のようなもので深刻ではないのだが、点滴でつながれたままでツラそうだ。
ふと私が入院した頃を思い出した。最初は大阪大学病院でアトピー(当時は皮膚病と言われていた) 幼稚園の冬ごろに三ヶ月はいたと思う。手足に包帯を巻いているだけの幼児だけに病院内をいつもうろついて看護婦さんを困らせていた。阪大病院は当時は中之島という都心にあって上の階からは淀川が見える。 あまりセキュリティなどない時代で、検査室とか倉庫とか研究室などにもこっそり忍び込んだり、階段で屋上にあがると鍵もかけてないし柵もない。恐る恐る這って屋上の端まで行って見下ろすと、背中に戦慄が走る。まだ幼い弟がいるので完全看護で一人だった。子供の入院患者は見たこともない。珍しがって可愛がってくれるし、まあ楽しい思い出しかない。でも退院で父の同僚に車で送ってもらった情景は鮮明に覚えていることから、退屈で孤独だったのだろう。
それから転倒での胸骨の圧迫骨折で救急車で北里研究所病院に。絶対安静で手足は自由だが背中をマットにつけたままで、寝返りも起き上がりもできない。 で下の世話もナースコールだが、外科病棟には若いナースしかいなくて閉口した。申し訳ない。
三度目が急性腎不全で救急車で都立広尾病院へ。左足が腫れ上がり、寝たっきりの点滴生活。大部屋で呼吸器科しか空いてなくて、いびきが異常に激しい。医療事故で問題になって数年後だけに引継チェックが細かすぎる。
主治医にお願して東海大学病院に転院できてほっとした。
たとえ骨折で元気でも入院生活というのは前向きな気持ちになるのは難しい。社会とか会社への関心も薄れて、新聞もTVニュースも見ない。単行本もパソコンも根気がない。当時のスケジュールを見ると、医師やナース、点滴薬の変更、検査、シーツ交換なんてことをびっしり書いてある。関心が狭すぎで半径2メートルぐらいにしか興味がないようだ。
統計局によると日本全国に163万床あるそうだ。(一般病床が91万と精神病床が35万床など)
その稼働率が90%なら、今、全国には147万人の入院患者が辛い思いをしているのだ。事情で入院できずに自宅か介護施設で同じような状況を含めれば人口の2%がそういう境遇なのか。
健康は必要だ。