2009年1月19日月曜日

小学校の女友達





学校のころ。

校区は下町と商店街と神社と住宅地の入り混じった雑然とした地区だった。小学校の北側と東側が住宅地、東隣が神社で、南側が商店街と下町。
もう半世紀ほど前の話で、昭和真っ最中の昭和40年ごろ、つまり1960年代後半。
これを読んでる人の親かもしかして祖父母の世代かも知れないが、当時は信じられないほど貧しかった。 イメージとしては中国の内陸部ぐらい。

自宅は北側の坂道のバス通りに面していて騒々しいが住宅地の片隅。小学校に近くてチャイムが鳴って、家を出て走って塀の隙間から入れば遅刻しなくてもすむ。
バス道から門を入って左が自宅で右が歯医者。門の奥が大家さん。

そのころ同級生に女友達が二人いた。

一人は歯医者の娘(隣の歯医者とは違う、もっと北の高級な住宅地にある)
もう一人は商店街にある有名な和菓子屋の娘。

歯医者の娘は栗色のショートカットで色白で勝気で活発で、今から思うと絶対音感があったのかも。
和菓子屋の娘は長い黒髪に色黒で肌が油っぽく光る、性格は大人しくて運動神経ゼロ。

二人とも学年では目立つ可愛い美人。どちらも瞳が大きくて、左右対称で、当時としては裕福なだけにお洒落で、成績も良かった。
それに比べて私は地方公務員の息子で裕福でもお洒落でもなかった。
そんなあまり共通点なさそうな組み合わせだが、なぜか三人で行動することが多かった。 偶然だが高学年に三人がクラスが同じだったというのもある。

学年でも、よくあるような他の教室の男子が覗きに来るような美少女二人とよく同行してるだけに、とても羨ましがられた。

歯医者の娘がリーダー格で私と和菓子屋の娘がそれに同行するような感じ。 昼休みの給食が終わって窓際で話をしたり、
放課後とか休日に近所での買い物、映画、それから須磨水族館、六甲山、異人館なんかにも行った。
やたら高額な小遣いを大きなサイフに入れている歯医者の娘にたいていおごって貰った。
歯医者の娘「七海君、あれの上映時間いつ?」「んん、聞いとくわ」 そんな感じ。 和菓子屋の娘は優しく「七海ちゃんありがと」
当時はよく絵というかマンガを描いてたので、会話が途切れると二人の似顔絵を描いてることがある。 「ええ!わたしそんなエラないし」 「もうすこし明るくして」
それだけに高学年ではあんまり男子の友達が少なかった。「いいよなお前は」嫌われていた。 二年生から六年生の二学期まで同じ。
私は小学校は二回転校し、二年生から六年生前半までの話だ。

東京オリンピックの頃だけにもう45年は昔の話。当時の日本は貧しかった。バラックのような家に住んでいる人もいた。考えてみるとそれでも同時に住宅地の歯医者とか高価な和菓子屋があるくらいで、格差というのは今以上に激しかったと思う。すこし平等に近づいたのは1980年代バブル期だろうか。
それからまた格差が広がった。
そんな頃でも、今から考えても二人はお洒落だった。ウールのワンピースにボレロとか、タータン柄のスカート、毛の長いカーディガン、ちらりと見た(今で言う萌えな)精密なフリルのスリップ、柔らかい生地のジャンパースカート。
当時はよくサリーちゃんのような吊りスカートが多かったが二人はそういうのを着なかった。 そこが私の女の子の衣装にこだわる原点かも知れない。
それをストロベリィのキャストの衣装を考えるたびにふと思い出す。

修学旅行で伊勢に行ったが三人はいつも一緒で担任の先生に注意された。
伊勢湾クルーズでデッキの梯子を昇るときに歯医者の娘のタイツの奥を覗いてしまった。「あ、七海君見たでしょ!」「え」
でもそれが最後の思い出だった。 その六年生の冬に、私と歯医者の娘は転校することになってしまった。
「オレさ、舞子に引越しなんだよ」「えー!私も・・でもよかった(別だけど)一緒で」「えっ!」

卒業は別の小学校だが卒業アルバムは送ってくれた。そこには校長と先生を中心にした集合写真に、右上に私と歯医者の娘の写真が並んでいる。

色白で社交的で頭の回転の速い歯医者の美少女と、色黒で白いフリルが映える優しい和菓子屋の美少女。

当時の私は何も考えてなかったが、今なら本当に好きだったのは断言できる。        私が好きなのは、それは・・・・・の娘だ。