私は神戸出身のせいか地震には反応してしまう。
1995年1月17日の早朝、当時の自宅は大阪北部の江坂だったがベッドにしがみつかないと落下しそうだ。ラジオで神戸だときき実家と友人らに様子を聞く。その頃はまだ電話が通じた。会社に電話するとFAXが反応しない。素人社長なので徒歩3分ほどに住んでいた。創業して5年目で事務所移転は3回目、入居したばっかりのビルは不動産バブルの象徴ともいえる日本住宅金融が江坂駅前に建てた裏まで大理石の豪華さ。防火シャッターが閉まっていてエレベータも止まっている。
非常階段を8階まで上がって防火シャッターを開いて、室内に入ると1800mmの高いパーティションは分かるが、1350の低いパーティションまで通路を倒れている。当時のブラウン管式のモニターもころがっている。何よりも天井から水が室内中央に大量に落ちてくる。(後で冷却水パイプのズレだとわかる)
引越して、パーテーションや机、椅子、ストッカーなど15年後の今も使っている、当時は最新鋭の家具だったのだが。。
素人社長が思い切った投資をして数カ月で・・私は廊下に出て窓際に座り込んだ。これが映画だったら主役はどんな表情するんだろうか・・と考えたのを覚えている。
去年かに「高層難民」という本を読んだ。恐ろしい。当時は41階で今は23階だが、エレベータで自動着床しなかったら・・の恐怖。保守会社が修理に来るまで数日はかかるかもしれない。私のオヤジでもそうだが若い女性が見知らぬ誰かと一緒なら一生心の傷が残るだろう。
http://www.bosaijoho.jp/tradefair/ct002/item_633.html
http://www.a-and-at.com/
高層まで、水を持って階段を上がるのも大変だし、虫が少ない以外のメリットは少ない。